12月法林寺輪読会-阿弥陀さまに心を向けていますか?-
先日12月14日(水)は相生法林寺での輪読会。西光義秀師『私のものさし仏のこころ』探求社を読む。読んだところは「自分の時間を阿弥陀さまに向けてみよう」、「阿弥陀さまとのコミュニケーションをしていますか?」(p.23-27)。
「成仏」、「行」、「称名念仏」、「聴聞」とほんと仏教の根本中の根本が述べられている。ここが外れると仏教ではなくなる。とはいえ、ここの理解は難しい。そこに世間的な誤解も存在しているから。
そこに阿弥陀さまとのコミュニケーションをしていますか?という問題が出てくる。西光師の次の言葉は有り難い。
「阿弥陀さまが私にいつも『南無阿弥陀仏』と喚びづめです。なのに、いつまでもそっぽを向いてしまって何もしない、何も言わないというのは失礼な話しです。阿弥陀さまは『失礼な奴だ』などとは決しておっしゃいませんが。」(p.27)
さらにここでは「聞く」ということが改めて疑問となった。「聞(もん)」である。親鸞様の仰せでは
「『聞』というは衆生仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし。これを『聞』という」
ということにまさになるがここがここが・・・。ここに思いが至ってくるのは「お育て」が必要だなと改めて思う。
とても根幹中の根幹が問題にされていてちょっと一言でいうのはとても難しい。そのような時間だった。南無阿弥陀仏。
次回は来年1月24日(火)になる。
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