一致、あるがまま、自然-本来の自己に戻る-
長きに渡って続けているカウンセリングがある。まさにその人の人生に関わってきたような感じがしている。同時にその人の家族にも会ってきた。ほんととても大事なことを感じ、見させてもらっている。
結局、成長というのは何か自分とは違うあるものになるのではなく、まさに本来の自己に戻ることではないかと思うのだ。あるがまま、自然、一致、自己一致、そのような言葉で表せるものだ。こんなことがこの場で展開している。これからそれが言葉に成っていったら良いなと思っている。ひとまずメモとしてそれをここにあげておきたい。カウンセリングはまさに育ち合う関係だ。
一致について
1 ロジャーズの定義を見る。
「今ここにおいてお腹のレベルで体験されつつあることと、それに気づくことと、クライエントに表現することとの間がぴったりと合う、つまり、一致が存在することである。」(Rogers, A Way of Being)
2 それを個人に起きる点でもっと具体的に見てみる。
3 一致とはいわゆる世間的に見て「成長」とか元気、あるいは成功というのとは違う。
1 一致はいつも元気であるとは限らない。しんどいときもある。
2 一致はいつもしんどいとは限らない。楽しいときもある。
3 社会的に成功しているという意味でもない。
4 社会的に上手くやっているという意味でもない。
5 社会的な側面では様々な様相がある。
6 一極例としては生活保護、身障など福祉サービスを受けているとい面もある。
7 社会生活がよりしんどくなる時もある。衝突する時は特にそうだ。
4 一致はある固定した状態をいうのではなくプロセスである。絶えず流れている。
5 非常に内面的な自由に関するものである。
1 あらゆる側面を感じとるということある。否定しない。
2 内面の流れを否定しようとするとしんどくなり、動きがぎこちなくなる。
3 絶えず自分に流れている内面の流れに逆らわないということである。
4 それはより個人的で内面的な自由である。
5 ひとりひとりのかけがえのない世界である。それはそれ自身そのもの。
6 こちらがとらわれから解放されているということである。
7 とらわれから自由になっているということである。freedom
6 自分への無条件の肯定的配慮とも言える。
7 仏道でも究極のところ一致をめざしている
1 これは仏道の目的でもある。
2 仏法に出遇う、本願に出遇うという事は究極の一致である。
3 念仏者は無碍の一道を歩く。親鸞聖人
4 阿弥陀仏の主になるなり。蓮如上人
5 出遇ったら浅ましいことではない。蓮如上人
8 仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし。生起はまさに自分の姿。本末はまさに自分の行く末。ここには深い一致がある。機法一体。
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