「仏教とカウンセリング」の講義準備が出来てきた-D-pcaの実際-
今日から4月。桜が爛漫としている。月末に佼成カウンセリング研究所での講義がある。もう9年近くご縁を結ばせていただいている。ここしばらくその準備に集中していた。科目名は「仏教とカウンセリング」。西光義敞先生が担当しておられた科目を引き継ぐことになった。身に余る感じだ。
西光先生はよく「仏教とカウンセリング。この『と』のところが大事だ。」とおっしゃっていた。関西弁のアクセントで『と』と発音するとニュアンスがさらによくわかる。この「と」は私なのである。起源の違うこの2つが交流し合ってひとつのものが出来上がっていく。それが「私」の内面において交流して生きているということになる。
今回の講義は改めてこの「と」のところを大事にしてみた。私にとってカウンセリングはRogersのパーソンセンタード・アプローチ、仏教は真宗になる。この2つを私がどのように学んできたかそのプロセスをたどってみた。そしてそれが今私にどのように生きているか。詳しく言語化してKJ法でまとめてみた。これがすなわち「D-pca:仏法を基底にした人間中心のアプローチ(Dharma-based person-centered approach)」ということになる。
さらに今回はD-pcaの実践内容についてより詳しくまとめてみた。私がD-pcaを意識して実践しはじめてからそこそこの時が経っている。私の中に深まってきたこともある。事例も蓄積されてきた。それらについて今回は報告することになる。以下がその案である。
1.カウンセリング(PCA)と仏教と私
私のPCA学習過程
真宗との出遇い
両者が今私の中にどういきているか
2.ロジャーズの定義を改めて読み直してみる
彼の最終著書 "A Way of Being"に示されている定義を読む
PCAの意味
3.D-pca:仏法を基底にした人間中心アプローチ (Dharma-based person-centered approach)
西光モデル
D-pcaの成長促進的関係
D-pcaの人間観
D-pca援助者の成長促進的態度がより本質的だ
動く=人は究極のありのままの方向に動いていく
面接ビデオと事例
4.結論ーDとPCAが出遇うことによって双方がより本来の意義を発揮することになる-
D-pcaはPCAの促進的3条件をより徹底することになる
D-pcaは仏教の対人援助を現代社会においてより具体化することになる
D-pcaは新しい援助的人間関係のあり方を指し示すことになる-育ち合う人間関係-
自燈明・法燈明
なんか今気持ちが引き締まり楽しみなことになってきた。
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