5月、6月D-pca研究会-第七章 「共感」を読み進めている-
D-pca研究会。月1回のペースで確実に進めている。忙しくしている間に書くのが遠ざかってしまって5月分、6月分をまとめて書くことになった。カール・ロジャーズ著・畠瀬直子監訳の『人間尊重の心理学-わが人生と思想を語る』創元社の輪読を進めている。原著はRogers, C.R. A Way of Being。
現在読んでいるところは第七章「共感-実存を外側から眺めない係わり方-」である。 原題は、"Empathic: An Unappreciated Way of Being"である。これもずいぶん意訳されている。
「共感の定義」から始まり、「一般的研究結果」、「共感的雰囲気のもたらすもの」と読み進めていった。それぞれの体験から学んだことと照らし合わせながら具体的に身を通して読むことが出来ている。毎回ヤリトリが充実している。
印象に残っていることは、
1.共感を状態とは捉えないで過程(プロセス)として捉えること。
「あなたが感じとったままをその個人と共によく検討し、相手から受けとる反応によって歩んでいくことを意味します。」(p.133)
これはまさにそうだ。個人はそれぞれ見方、感じ方、考え方が違う。それぞれの枠組みを持っている。そうしてこれらは一瞬一瞬流れている。それを尊重しながら言葉にしながら逐一参照していく。そんなプロセスが個人の自己探求を促進し、蘇らせていくのだ。
2. 鋭い診断的知識は共感性と相関しない。
「セラピストが作り出す共感的雰囲気は学問的業績や知的能力と関連しないとことを知るのは重要なことです。」(p.140)。
これもとても心強い。まったくそうだ共感的態度は知的に学びとることではなく、それを含みつつ体験的に学んでいくことだからだ。これはPCAの大きな特徴である。「多くのセラピストはこの意味を受けいれるのが不快なことでしょう。」(p.140)。
これは大学での養成教育のあり方にもインパクトを与える。
3.共感性は共感的個人から学びとられる。
「もっとも大切なことは共感的である能力は訓練によって発達させうる事であります。セラピスト、教師、親は共感的になるよう援助を受けることが出来るのです。」(p.141)。
これもまさに心強い。共感的である事は人柄やもって生まれた能力ではなく学びとられる事が出来るのである。まさに私もそうだった。恩師や沢山のファシリテーターの方々に共感的に聞いてもらうことによって私の中でその態度が徐々に熟成されてきたのだ。
この道筋を見つけたこともロジャーズの大きな功績だ。
今の私にはこれらのことが本当に生きていると思う。ともかく鯱張らないで楽に人と関わって行けたらいいな。人の世界に入り込んでいけたらいいなと思う。また間違って聞いてもいいのだ。要は内部を正確に理解しようとしてそれを確かめつつ人と関わっていくことだ。間違いはクライエントが訂正してくれるし、それを通してクライエントの内部探求が進んでいくのである。今はこのような楽な感じでいる。
次回は、7月11日(火)午後7時半~9時半。場所は当センター。詳細はここをどうぞ。
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