10月D-pca研究会-聞-
2週間程前になる。10月10日(火)はD-pca研究会。幾つかの都合が重なって2ヶ月ぶりになった。いつものようにオープニング・ミーティングで「困っていること」、「やりたいこと」、「わかちあいたいこと」を出し合った。それぞれの今のところが共有出来た。「やりたいこと」としては前回検討した西光義敞著『暮らしの中のカウンセリング-育ち合う人間関係-』有斐閣 1984の第3章から読み始めるということが出された。
この本はこの研究会で以前にも読んでいる。第2章「ふれ合い育ち合う人間関係の核心はきわめて簡明である」のところ。ここはロジャーズ理論、つまりパーソンセンタード・アプローチについて極めて簡明で要を得た記述がなされている。西光義敞先生の体を通した学びがここに言葉になって出てきていると思う。この後ロジャーズの原典(日本語訳)にあたっていくつかを読んだ。
パーソンセンタード・アプローチはそもそもカウンセリングやサイコセラピーの場面から出てきた成長促進的人間関係の理論だ。それが他の場面、特に日常の関係にも適用できるというのがこのアプローチの特徴だ。今回、そのことに注目し、第3章以下から読み始めていくことにした。この本のタイトルどおりまさに「暮らしの中のカウンセリング」なのだ。先生はこの当時からそのことを探求されていた。
さて、第3章、タイトルは「どうして心のすれちがいが起こるのか-カウンセリングから日常の人間関係を見なおそう」である。(p.114から)
論述はまず「聞くことの重要性」から始まる。第1節「人間関係の焦点は『聞く』ことにある」。大学紛争の場面から始まり、日常生活の人間関係を見ていると本当に聞いていない。その例が挙げられていく。日常生活の言葉によるコミュニケーションを見てみると「聞」、「話」、「読」、「書」である。その中では実は「聞」が一番多い。(p.121)。にもかかわらず聞けていないのである。
というより「聞く」ことに焦点が当たっていずその難しさや重要性、そして練習の方法などがほとんど探求されいっていないところに大きな問題がある。これはもちろん日本だけの問題ではない。アメリカもそのようである。
このことに焦点を当て、その方法を導き出してくれたのがカウンセリングである。特に、ロジャーズのパーソンセンタード・アプローチである。このことがまず第1節の要旨である。
いつものように声を出しながらみんなで読んでいった。読みながら日常生活で当てはまったり、自分自身の体験とも重ねながら話しが進んでいった。毎回この時間は充実していて楽しい。
そんな中から私が思ったこと。本当にその通りだ。けれどもそのカウンセリング自身も聞くことの重要性にどれだけ焦点があたったいるのか。ここを改めて思った。国際的な視野でパーソンセンタード・アプローチ(PCA)の集まりを見ても1人1人本当に聞き合っているとも思えないし、カウンセリング場面でもそのように思う。むしろ指摘したり、解釈したり、質問したりして動かそうとしてアプローチしているように思う。PCAの集まりでもそうだ。どちらかというと表現すること、自己開示すること、そこに焦点が当たっているように思える。自己開示がPCAの根幹というわけだ。ことほどさように「聞く」ことは本当に難しいし、エネルギーの要ることでもある。
さらにその聞くということはどういうことを指していくのか?ロジャーズは促進的関係3条件の中でも聞くということばは使っていない。「共感的理解」である。ここは大きな課題だと思う。この本でもこのことが言及されていく。さらにこれは仏教にも関わってくる。特に聖徳太子の教えはそうだ。この探求は楽しみなことである。
西光義敞著『暮らしの中のカウンセリング-育ち合う人間関係-』有斐閣 1984年
来月は11月7日(火)午後7時半~9時半まで。場所は当センターである。
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