12月5日(月)。児童養護施設守山学園でのケアーワーク学習会。グループを2つに分けての1日研修、2グループ目を行った。この研修内容の全容を説明し、午後からは具体的なケースを用いてその考え方をさらに具体的に理解できるように工夫した。
日々の子どもとの関わりで大事なことは、何かを「する」ことではなく、「関心を持つ」事であり、こちらからの表現(input)よりも子どもからの表現(out put)を大事にしていくことであるが、この体験的理解はなかなか難しいと改めて思う。大人側が今までの生育歴のなかで意識してこの経験をすることが少なかったからだと思う。これが理解でき、自然な心の姿勢として身について行くにはそれなりのまとまった訓練期間が必要だと改めて思った。実は、これは専門家として身につけておくべき必須事項だと思われるがなかなかこれが浸透しているとは思えない。教育課程においてもそうであるし、現場でのトレーニング期間としてもそうである。ケアーワークにはまだまだ課題が多いとつくづく思う。
もう一つ、重さを実感したのは、入所してくる子ども達が年々しんどくなってきていること。特に乳児期において親とのしかるべきタッチングや情動の交流の機会を落としてきている子ども達がすごく増えていると思う。これらが登校心身反応(不登校)やリストカット、摂食障害、はたまた多動などの行動障害となって現れてきているとつくづく思う。
さらに、深刻なことには、それらへの援助体制がまったく出来上がっていないと言ってもよいこと。それらはほとんどが民生児童委員や保護司や地域住民等のボランティア、いや、「篤志活動」に頼っていること。専門家集団(特に公)の援助体制がまったく整っていない、あっても量そのものが少なすぎて手つかずと言っても良いことを痛感する。国や地方公共団体がそれに力をいれていく動きなど今の日本の政治体制にはまったく見られないこと・・・。こんな先進国って本当にあるのだろうか。と大変重い気持ちになった。今、援助が本当に必要なのは親たちなのだ。なんかこの日本って大商業ビルやハイテク商品が満ちあふれているのに人そのものに対してお寒い国だなとつくづく思う。これではますます生活が荒れていくばかりだ。もう一度言う。こんな先進国ってあるのだろうか。
今週はこの重い気持ちをひきずった1週間であった。その状況に風穴を開けることをほんとわずかながらも担っているとも思いつつ・・・。
(岡山県牛窓)
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