先週土、日の2日間にわたって相生法林寺にて報恩講。松尾宣昭師のご法話を頂いた。ご讃題は二種深信。浄土真宗の要中の要(廻心)を文言ひとつひとつをあげられながら明快に身を通して説いて下さった。御法の働きがわが身を貫きまさに身が覚まさせられる一時だった。
昨今の問題で縮小もされながらまたビニールカーテンで対策も立てられながらともかく対面での報恩講を実現させようというご尽力には頭が下がる。そのぶん本質だけが残った身の引き締まる法座になったようにも思う。写真と師があげられたご讃題を以下に載せる。
播州清水寺(きよみずでら)にて。ここは兵庫県播州の清水寺です。ここも綺麗な地下水が出たところのようです。
縁起によりますと1800年前にインドからこられた法道仙人によって開かれたと伝えられています。なんと仏教が伝えられたとされている西暦538年よりも300年も前の事になります。→播州清水寺
いつもの赤穂御崎にて散歩。寒くもなく、暑くもなく、心地よかった。写真をどうぞ。
たつの市御津町、赤穂御崎にて。私の住んでいる地域。瀬戸内の風景ってほんと美しいと思う。日本の風景だな思う。天気によって海の表情が違うのもおもしろい。写真をどうぞ。
ほんととても動いていた1週間であった。このブログは滞ってしまった。流れを記しておこうと思う。
たつの市太子町。斑鳩寺(いかるがでら)。自宅からは車で15分ぐらい。静かな佇まい。まさに聖徳太子ゆかりの名刹。ここ播磨の地と奈良、浪速とがつながっているのがほんと面白い。きっと舟で頻繁に行き来されていたのであろう。そして、私は大阪河内という聖徳太子ゆかりの地で大きくなり、今ここにまたゆかりの地に住んでいる。これがまたとても不思議である。おそらくこの播磨の地が最終地になるのではないかと思う。写真をどうぞ。
昨日午前中は真宗ご法座に参加。法話を聞き、Zoomでの座談をする。「南無阿弥陀仏」。これは言葉にしてしまえばこれだけのこと、文字にしてしまえばこれだけのこと。知らなければなんだこんなことと流してしまう。けれども、それって一体何?働きかけているって?疑問を持ち出すととても深い様相をもって私に聞こえてくる。大きな壁となって迫っても来る。私の真の姿を照らし出す鏡でもある。同時に、この私がもう生死の迷いを繰り返さない身となる道でもある。これは間違いなくわが身の内に起きてくることである。動かされていくことである。ここが深いし、面白い。それを常時問うていくことが大事だなと改めて思った次第。
最近のコメント