カウンセリング。D-pcaカウンセリングと呼びたい。長い長いプロセスではあるがほんと少しずつ本当の自分を取り戻していく。べきから離れて今ここに流れているありのままの感情や身体感覚に開かれていく。さらに自分を取り巻いている状況と自分のあり方との振り返りが行われていく。そのようなプロセスを見せてもらったような気がする。
また、様々な葛藤や衝突を通して自己執着の自分を見せてもらっていく。人は人どうし反目し合い、生き物は殺し合っていく。それへの気づき。まさに私がそうなのだ。そんなプロセスも見せていただいたように思う。まるでクライエントを通して仏説を聞いているかのようであった。それは絶えず生きて働いている。私にもクライエントにも。心の中で静かにお念仏させていただいた。南無阿弥陀仏。
先週はD-pca研究会の後、カウンセリング面接、国際エンカウンターグループと続いた。ヤリトリの重要性を改めて思った。人と人とのヤリトリ、自分の内面とのヤリトリ。この2つがあるなと思う。両者は関係しあっていて人と人とのヤリトリを通して自分とのヤリトリに気づくし、自分とのヤリトリを表現することでまた人と人とのヤリトリも生まれる。このダイナミックな関係、生き生きとした関係が重要だなと改めて思う。
それにしてもコロナから始まった昨今の社会情勢、それをめぐるマスコミの動きが人々を不安にさせ、うんざりさせているなと改めて思う。それにしてもおかしな情報空間になったものだ。
これを見ているとしみじみとしていろんな思いが湧いてきます。不思議なカウンセリングセッションでした。気を共有している感じでした。
ここしばらくのカウンセリングで自分の中に去来している感覚がある。まだ充分に言葉に出来ていないけれど、カウンセラーが仏法を基盤にする時、やはり独自のアプローチをしているように思う。ちょっと思いつくままにブレイン・ストーミングをしてみる。
カウンセリング・セッションが常時続いている。面接室でクライエントとカウンセラーが向き合って話す。ほんとそれだけのことなのだがそこに様々な動きが生まれる。普段の思いを妨げられことなく思いのままに表出すること。聞いてもらうこと。それが大きな前進になるなとあらためて思う次第。
さまざまな心の流れが展開していく。こちらは自分の中に流れているものにも焦点をあてつつ、クライエントの流れに一緒になって感じ合っていく。そういう妙味がこのパーソンセンタード・カウンセリングの醍醐味だなといつも思う。充実感と手応えがあるのだ。思えば、この仕事に恵まれてよかったなと思う時間だ。
気楽にとにかく話しに来て下さる。それが一番だ。このページをどうぞ。
先週は「D-pcaの集い」の後、カウンセリング、CSPエンカウンター・グループ(Zoom)、ワイガヤ・リトリートグループ、カウンセリングと続いた。どれもこれも深いところでの交流が続くセッションだった。充実していたがさすがに疲れた。もちろんよい疲れである。
個人カウンセリング。来談者中心カウンセリングの醍醐味を改めてじっくりと味わった。自由に心置きなく自己探求の旅を続ける。こちらはその内的世界に集中して聞いていく。そこから改めて気づきが生まれてくる。どう動くかを知っているのはまさにクライエントなのだ。そのようなことを改めて見たように思う。さらにD-pcaは究極のクライエント中心になり、結果として非指示的になってしまう。そんなことを思った次第。自然な流れの中で充実した時間を過ごさせてもらった。
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