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先日22日(土)は佼成カウンセリング研究所カウンセリング講座で「仏教とカウンセリング」というテーマで講義をした。朝9時から夕方4時までの集中講義である。オンラインで行われた。オンラインでのこのような長期講義は初めてなのでどうなるか少々心配だったが事前にテスト時間をいただいたこともあり、思いのほか自由に話しが出来た。受講者の様子も画面を通じて伝わってくるので1人孤独に話しているという感じでは全くなかった。もちろんリアルの重みには負けるが・・。
長きに渡って続けているカウンセリングがある。まさにその人の人生に関わってきたような感じがしている。同時にその人の家族にも会ってきた。ほんととても大事なことを感じ、見させてもらっている。
結局、成長というのは何か自分とは違うあるものになるのではなく、まさに本来の自己に戻ることではないかと思うのだ。あるがまま、自然、一致、自己一致、そのような言葉で表せるものだ。こんなことがこの場で展開している。これからそれが言葉に成っていったら良いなと思っている。ひとまずメモとしてそれをここにあげておきたい。カウンセリングはまさに育ち合う関係だ。
毎回充実した時間をもたせていただいている。次の言葉が浮かぶ。
どの方向に進むかを知っているのはクライエントである。クライエントの自己探求に付き合っていくことは充実しているし、スリリングである。毎回ダイナミックな一時を過ごさせて下さるのがうれしい。
カウンセリング。D-pcaカウンセリングと呼びたい。長い長いプロセスではあるがほんと少しずつ本当の自分を取り戻していく。べきから離れて今ここに流れているありのままの感情や身体感覚に開かれていく。さらに自分を取り巻いている状況と自分のあり方との振り返りが行われていく。そのようなプロセスを見せてもらったような気がする。
また、様々な葛藤や衝突を通して自己執着の自分を見せてもらっていく。人は人どうし反目し合い、生き物は殺し合っていく。それへの気づき。まさに私がそうなのだ。そんなプロセスも見せていただいたように思う。まるでクライエントを通して仏説を聞いているかのようであった。それは絶えず生きて働いている。私にもクライエントにも。心の中で静かにお念仏させていただいた。南無阿弥陀仏。
先週はD-pca研究会の後、カウンセリング面接、国際エンカウンターグループと続いた。ヤリトリの重要性を改めて思った。人と人とのヤリトリ、自分の内面とのヤリトリ。この2つがあるなと思う。両者は関係しあっていて人と人とのヤリトリを通して自分とのヤリトリに気づくし、自分とのヤリトリを表現することでまた人と人とのヤリトリも生まれる。このダイナミックな関係、生き生きとした関係が重要だなと改めて思う。
それにしてもコロナから始まった昨今の社会情勢、それをめぐるマスコミの動きが人々を不安にさせ、うんざりさせているなと改めて思う。それにしてもおかしな情報空間になったものだ。
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